09 ブルースとゴスペル 2003.11.21
黒人(アフロ・アメリカン)のルーツミュージックというと、ゴスペルを抜きに語るわけに行きません。大多数の日本人には、ブルースと同様ゴスペルも、知っているようで知らない音楽と言えるかもしれません。「その言葉は、よく耳にするけれど、どんな音楽? ゴスペラーズがやってるようなアカペラ? 昔のR&B? 太った女の人が大声で歌ってるヤツ?」まぁ、そんなイメージでしょうか。
私もブルースは、本場シカゴのライブハウスを含め、たくさん体験してきたけれど、生のゴスペルには接したことがありません。 なぜか?! それは、ゴスペルが基本的に黒人の教会で歌われ演奏される「宗教音楽」だからです。信者でもない私が教会に「音楽を聴き」に行く気にはなれません。たまにテレビなどでも紹介されるので、その光景を見る機会はありますが、白人の教会でオルガンをバックに歌われる賛美歌と異なり、黒人教会では牧師がまるでソウルシンガーのように歌い、R&Bさながらのバンドが大音響で演奏し、集まる人たちも時には踊り狂いトランス状態になったりする。あれがゴスペルです。
音楽的には、よく似ているし、歌詞を聞き取れない場合はなおさらなのですが、当の黒人に言わせれば、ふたつはまったく異質なもののようです。

ゴスペルは神に捧げる音楽、ブルースは悪魔の音楽。
ゴスペルは神に仕える者の音楽、ブルースは金儲けのための音楽。
ゴスペルを演る人間はみんなの手本、酒もタバコもやらない。それにひきかえブルースを演るのは自堕落な連中。
このように、ゴスペルを演る人の多くは、ブルースを演奏したりこれを聞きに酒場に集まる人々を人間のクズのように言います。ところが、ブルース・ミュージシャンはどこかで後ろめたさを感じているように、そうした批判にあえて反論しようとはしません。

ブルースとゴスペルはコインの裏と表と言われます。前者のキーワードは悪魔・堕天使・破滅・堕落・闇夜、後者は神・天使・救い・善行・太陽というわけです。私はクリスチャンではないし、さらに黒人たちがキリスト教に帰依し救いを求める心情も共有できないので、「マイロード」とか「ハレルヤ」などと叫んで涙する感覚はまったく理解不能です。
だから、彼らの言うこだわりやニュアンスの違いはわかりませんが、でも聞こえてくる音や雰囲気だけでも、何かが明らかに違うことがわかります。その証拠に、私はブルースには心が揺り動かされるけれど、ゴスペルにはほとんど「感じない」のです。
08 ロックの命 2003.10.4
4ヶ月も空いてしまったし、誰も見てないかもしれないけれど、人知れず復活。
masterは、ブルース大好きだけど、ロックももちろん好き。共通する点が多いからなんだけれど、そういうウンチク話は省略。
独断を承知で言うけれど、ロックの命は、なんといってもビート、精神を揺さぶられ、じっとしていられなくなるようなグルーブ感だね。ギター一本でも、ドラムソロでも、ベースだけだって、グルーブ感、ドライブ感がなければ、そんなものはロックじゃない。もちろん、電気的な増幅の有無なんて関係なし。
ビートが心の中の何かと共振して、ハイテンションになっていく。緊張感のないロックなんて、masterはいっさい認めませんよ。
だから、ロックミュージシャンに不可欠なのが、相手を力づくで共振させる肉体的・精神的エナジー。心の琴線をふるわす叙情性なんかじゃなくて、もっと原始的な強い本能的なエネルギーです。
ところで、あしたは管理人さんのライブだそうです。というわけで、みのっちさんは、どれだけロックしてくれるんでしょうか、見たこともないような野性がほとばしるのでしょうか。ロッカーとしてのポテンシャルを見極めてやるぜ!
練習どおりできるかなんて気にせずに、せめて汗をほとばしらせてくださいな。
07 音律の不思議 その1 2003.6.5
かなり時間が空いてしまいました。
数年前、あるハモニカに「Natural Tuning」という記述があったのをきっかけに「音律」というものに興味を持ったのですが、今回はちょっと脱線してその話しを・・・

専門の音楽教育を受けて「楽典」を勉強した人を除けば、「音律」という言葉すら知らない人が大部分だと思います。「音律」とは、音階(スケール)の元になっている音の連なりとはどういうものか、またはどう定めるべきかという点についての理論みたいなものです。私も数冊の専門書と放送大学での講義を見た程度なので、ごく基本的なことしか理解していませんが、それでも「音律」とは知的好奇心を強烈に刺激してくれる驚くべき世界です。

例えば、皆さんは以下のことをご存じでしょうか。
●ドレミファという音の連なりにも、過去さまざまな音程の定め方(調律法)があったこと。
●世界中の音楽には、1オクターブを12の半音で区切った音程にあわない音ががたくさんあること。
●現在一般的になっている12平均律は、18世紀以降に普及した調律であり、一種の妥協の産物であること。
●半音の間隔にも複数の種類があり、♯と♭は本来別の音を表していること。
●ハーモニックスによってギターをチューニングすると必ず音程がずれてしまうこと。

「音律」の説明をするために、まずは、上で挙げたギターチューニングの話しをしましょう。

ギターを弾く人なら誰でも、6つの弦の高さを合わせるチューニングという作業を行います。最近はチューニングメーターを使う場合も多いのですが、多くの人はまず一番太い6弦の高さを決め、6弦の5フレットと5弦の7フレット上を軽く抑えてハーモニックスの音を同時に響かせながら5弦をあわせ、あとはその繰り返しで4弦3弦とあわせていく方法をとります。ギターは2弦と3弦を除き、隣り合わせの弦が低い方から数えて完全4度の音程差に合わせるのが標準なので、この方法がとられるわけです。音がずれていると「うなり」が聞こえるので、それが消えた所で高さが合っているとするわけです。
具体的に考えてみましょう。6弦の開放音程はE、5弦はAです。6弦の5フレットは全体の1/4の位置にありますから、そこに指を触れてハーモニクスの音を出すと原理的には主として周波数が4倍の音、すわわち2オクターブ上のEの音が鳴ります。7フレットは1/3の長さの位置にありますから、周波数が3倍になり、これは完全5度上、すなわち5弦の場合、Eの音が鳴ります。だからこれら2つの音がぴったり重なるとチューニングOKと考えるわけです。ところが、これで合わせていって1弦(これもEの音になるはずです)を合わせて6弦と一緒に開放で弾いてみると必ず「うなり」が聞こえるという結果になります。そうです。厳密に言うと、この方法は正しくないのです。

「うなり」がないと言うことは、2つの音の波が綺麗に重なっていることを意味します。音の周波数が低い整数倍の関係になっている時にこのような濁りのない響きが得られます。
1オクターブ=完全8度は1:2。完全5度(ドとソの関係)は2:3。完全4度(ドとファの関係)は3:4。長3度(ドとミの関係)は4:5。これがいわゆる純正な音の間隔です。ところが、ピアノでこれらの2つの音を弾いてみてください。オクターブを除いてかすかに「うなり」が聞こえ、和音が濁っていることに気づくはずです。中世までヨーロッパで多く使われていたピタゴラスの調律法ではこうした濁りのない音の響きを大切にするために、これらの音は純正な比率に合わせられていたのですが、今の楽器はすべて12平均律といって、少しずつ音程をずらせているのです。長3度上のミの音は14/1200低く、完全4度上のファの音は2/1200低く、完全5度上のソの音は2/1200高く設定しています。とくにミの音は純正の音程からのズレが大きいため、ドとミはかなり濁った和音になります。

そこで、ギターのチューニングなのですが、先に述べた5や7フレットでのハーモニックスは整数倍の純正の音を出して比較しているわけですから、結果的に12平均律で定めるべき音程とズレが生じてしまうことになるのです。6弦に対し5弦は「うなり」のない状態からほんの少し音を下げるべきなのです。

こんな話し、興味を持ってもらえる人はどれくらいいるのでしょう。実際上は知らなくても済む話しなのですが、少なくとも音程とは相対的なもので西洋音楽ですら中世までは違った音の響きで音楽が奏でられ聴かれていたこと、世界には12個の半音で機械的に分割される音程では表現できない、記述できない音楽がたくさんあること、そのことを知っておくことはとても大切なことだと思うのです。現にブルースの特徴のひとつであるブルーノートという音程は12平均律の音程で単純に表現できるものではないようです。その微妙なズレが音楽の味だったり、雰囲気だったり、個性だったりするわけで、そのことを無視する感性は貧しいと思います。当たり前だと思っている常識にとらわれないこと、表現者には大切なことではないでしょうか。

さて、次回はなぜ12平均律なんていうズレた調律が一般的になったかを説明しなければならないわけですが、こんな話し、続けてよかですか?
06 ブルースインパクト 2003.4.28
最近、CDショップでブルースのコーナーは絶滅の危機に瀕しているようです。ロックやR&Bに吸収されてしまった所もあります。無理ないね。P-VINEのような専門レーベルを除けば日本盤の新譜がほとんど出てないし、並べてもあんまり売れないだろうし、第一店員さんがよく知らないに違いない。

ところが、60年代には日本にもブルースのブームみたいなものがあって、メジャーなレコード会社が次から次へとブルースのLPを発売してた時期があります。私がブルースと出会ったのも、その頃。

それ以前は、超がつくほどのビートルズフリークだった(リアルタイムですよ)のですが、バンド仲間から「クリームって聞いたことある」と言われたのがきっかけ。ブリティッシュロック、アートロック、ヘビーロック、サイケデリックロック・・・いろいろな呼ばれ方をしていたけれど、そういうロックを聞き始めた途端、ビートルズなどの音楽が「まるでオモチャ」のように感じられるようになって、突然音楽の志向が変わってしまいました。

クリームで初めて1曲3分のポピュラーソングとは別の世界を知り、「ブルース」という言葉に出会ったのです。そして、クラプトンの線をたどってブルースブレイカーズを知り、内容も知らずに「Blues Dimension」というLPを買ったのですが、これは今でも間違いなく名盤と呼ばれるアルバムで、それで「衝撃」を受けてしまいました(余談ですが、このアルバムは、大きなショップに行けば今でも手に入ります。このJohn Mayall & the Bluesbreakers は、白人のバンドですから、ブルースと言っても味付けがマイルドでとても聞きやすいので、ブルース入門としては最適の1枚かもしれません。マイナーブルースを弾かせたらピカイチのピーター・グリーンのギターが聴けるだけでも、必聴です)。

この「衝撃」の意味を説明するのはなかな難しいのですが、ひとことで言うと驚き!今まで聞いたこともないような音楽だったのです。
ヒットチャートを飾るような耳ざわりのよい音楽じゃない。なんとなく調子が外れているように聞こえる。盛り上がって騒げるわけでも、悲しさに癒されるわけでもなく、乾いてて重たい。
でも、間違いなく子供向けのはやり歌じゃなくて、これぞ本物の音楽という確かさと、心の琴線を共鳴させる得体の知れない力を体中で感じたのです。

その後は、もう一直線で黒人のブルースにたどり着き、生理的に受け付けられない強い違和感と、だからこそその魔力から離れられない腐れ縁の関係をもう30年も続けているというわけです。

異質な物の持つ排斥力と求心力。これは、発酵食品や酒やタバコなどと共通点があるかもしれません。しかし、なんと言っても似ているのは男と女の関係。生物というものは、普段は徹底して異物をシャットアウトしているのに、生殖の時だけは逆に自分と異なる相手を選ぶ場合があるそうではないですか。

まぁそんな例え話はさておき、黒人にとってのブルースは自分の体臭のようなものだろうけれど、非黒人にとっては自分たちの世界に足りない物を埋めてくれる刺激に満ちた強力な香辛料か香水のような存在だと思うのです。一度知ってしまうと、もうその匂いや味が忘れられない。

ブルースを聞いて、衝撃を受けるか否かは、初めてバイクに乗って興奮する人と、2度と乗りたくないと思う人がいるように、その人の感性の有り様によるようです。自分と似たタイプの異性と同化しようとする人と、異質な相手でないと燃えない人がいるように、これはかなり本能的なもののような気がします。

黒人と非黒人では、ブルースに接するスタンスがまったく違うのだと言うこと、これが今回言いたかったことです。だから、多くの黒人がブルースを聞かなくなっても、関係ないのです。

05 黒人は、もうブルースなんて聞かない 2003.4.21
MTVなどでアメリカの「はやり歌」を見ていると、ラップを中心に黒人ミュージシャンの勢いはすさまじいものがあります。しかし、ブルースはまったく聞かれません。そう、田舎の老人は別にして、都会の若い黒人たちはもうブルースなんて聞かないのです。

20年近く前、ニューヨークやシカゴのライブハウスにブルースを聴きに行ったときも、観客のほとんどは白人でした。黒人達にとってブルースが熱狂的に支持されていたのはおそらく1960年以前のこと。皮肉なことに白人達がブルースに注目するようになった頃、黒人達にとってブルースはもはやカッコイイ音楽ではなくなっていたのです。事実、現在、若手の黒人のブルースミュージシャンって多分いないと思います。
このへんの感覚は、もちろん実感できないことだけれど、例えて言えば、日本人にとっての「浪曲」や「民謡」のような存在ではないかというのが私の理解です。あまりにも泥臭くて、古くさくて、ダサイ音楽という感じなのではないでしょうか。

しかし、ここで忘れてはいけないのが、日本人の音楽感覚の根っこに「浪曲」や「ド演歌」の節回しや世界がとぐろを巻いているのと同じく、ラッパーのお兄ちゃん達の根っこにもブルースがあるに違いないということです。
そして、もうひとつ、白人や我々にとってのブルース彼らとはまったく別だということ。ブルースは衝撃的な音楽であり、刺激的なカウンターミュージックなのです。

ブルースインパクトという言葉がありますが、私のブルース体験を紹介しながら、次回は、その衝撃の意味について語らせてもらいます。
04 動くリトル・ウォルター 2003.4.12
先日、超貴重なブルースマンのライブ映像のビデオを入手しました。おそらく1960年代中頃に放映されたヨーロッパのテレビ番組の録画テープです。極めつけは、動くLittle Walterが見られること。古今東西のブルースハーピストの中でも例外なく天才と称される彼は、録音はたくさん残しているものの、映像はスチール写真だけしか伝わっておらず、撲殺されたという最期もあって若くして伝説になった人物なのです。
1〜2年前頃から「幻の映像が発見されたらしい」という噂がアメリカから伝わってきていたのですが、それがこのビデオ映像だったというわけです。

残念ながら、記録されているのは2曲のみ。それもほとんど地味なバッキングに終始していて、パワフルでドラマチックな彼の演奏とはほど遠い内容だったのですが、私には宝物のような映像です。

それにしても2時間のテープに登場するブルースマンたちの「濃さ」といったら、おそろしいくらいです。当時の若い白人ミュージシャン達がロックのルーツとしてのブルースに傾倒し、場末の酒場やスラムの片隅で「再発見」された後の映像ですから、彼らは老人と呼んでいい年齢に達していたわけですが、映像からは脂ぎった体臭がにおってきそうな感じなのです。ブルースが、いかにそれまでの白人音楽の対極にあったかが一目瞭然です。

そんな彼らも、もうほとんど全員がこの世を去ってしまいました。
03 ブルースは、黒人の伝統音楽じゃない 2003.3.31
ブルースは黒人の音楽、というのが一般常識ですが、それは必ずしも正確な言い方ではありません。
17世紀から19世紀にかけてアフリカから奴隷としてアメリカに連れてこられた人たちの中から生まれ、20世紀初頭までに定着したひとつの音楽様式というのは間違いないのですが、北アメリカ以外の例えばヨーロッパや中南米・カリブ海地域ではまったく異なった音楽が生まれたことに注意しなければなりません。2つのことを確認する必要があります。

我々はアフリカというと何かひとまとまりの世界があるように考えがちですが、それはアジア人は皆同じというのと同様まったく乱暴な見方です。そもそも、当時のアフリカは中央集権的な社会がほとんど存在しない小規模な部族社会の集まりだったようですから、人種はもちろん、言葉も文化も千差万別。連れて行かれた先では、非常に多様な人々が混在していたはずです。アフリカ由来の音楽の断片がルーツになっているにしても、そこには共通の音楽様式など存在しなかったと考えるのが自然です。ブルースのような音楽が、もともとアフリカにあったわけではないのです。

次に連れて行かれた先の環境の違いです。そこにはスペイン・イギリス・フランス・ドイツなどさまざまな白人の支配層の社会があり、言語も音楽環境も異なっていたということです。ブルースの産床になったアメリカ南部のプランテーションと言えば、主としてイングランド・ウェールズ・スコットランド・アイルランド・フランス・スペインをルーツにする白人たちがいたわけで、彼らの音楽との出会いがブルースの遺伝子のひとつであったことは間違いありません。

「ブルースは人類が誕生したときからある」なんて偉そうに言う黒人のブルースマンもいますが、それはウソ。たかだか100年ちょっとの歴史しかない音楽なのです。民族音楽でも、伝統音楽でもありません。

それにしても、考えられないほど多様な人種や文化がひとつの地域に押し込められた中で、ひとつの音楽様式が自然に生まれてきたことは信じられないような出来事です。
そして、この音楽が20世紀後半のわずか数十年の間に、ロックやジャズを生み出し、世界中の音楽に影響を与える存在になったことは、もはや空前絶後のことではないかと思います。
02 オレのハモニカを聴いてくれ 2003.3.20
突然ですが、練習中の曲を録音してみたのでアップします。ここをクリックしてください(mp3で約1MB)。
ノリも、フレーズも、まったく不満足な出来だけれど、まぁこんなもんです。
Nobody knows you when you're down and out(邦題「落ちぶれて」) という曲なんだけど、クラプトンもUnpluggedで演奏していたので聞いたことがある人もいるでしょう。原曲は1920年代に作られたもので、いわゆるブルースではなく、CDショップではジャズのコーナーに並ぶ曲です。事実、この録音では曲のキーはD、ハモニカはGを使っていますが、ブルーススケールの曲ではないので、5穴と9穴の吸音のリードを削って半音高くしています(ブルースハープを演奏したことのない人にはチンプンカンプンの話しになるので、おいおい説明させていただきます)。
狭い意味でのブルースじゃないけれど、1920年代といえば、まだジャズとブルースの境界線は曖昧だったと思うし、演奏している人たちもジャンルなんて気にしていなかったと思います。こういう曲が、どうして広い意味でブルースと呼べるのか、どのようにして後のロックにつながっていったのか、その辺の話しはこれからだ。

3/21、とある場所でハモニカの演奏会があり、上の曲を演奏してきました(mp3で約1.9MB)。
緊張しまくりました。ちなみに伴奏のギターは管理人のみのっちさんです。
01 Bluesは、ブルースじゃないのだ 2003.3.18
さっそくウンチク話しになりますが、Bluesの発音はブルースじゃないということをご存じでしょうか。
辞書を引いて発音記号を見てください。最後は、Sではなく、Zになっていますね。そう、Bluesはブルースではなく、ブルーズというのが正しいのです。「ブルーズはねぇ」なんていう人がいたら、その人は結構コアな人に違いありません。

ただし、現地アメリカの連中が話しているのを注意深く聞いていると、SとZの中間で、Z寄りというのが正確なようです。それに語尾ははっきり発音しませんから、「ズ」を強調するのはカッコよくありません。
それよりも、「ブル」の後の「ー」と伸ばすところが大切。息を歯の前で少しこねる感じでもったいをつけて「ズ」で締める、そんな感じです。

さぁ Repeat after me。
ブル--ズ、ブル--ズ。そう、これだけでブルージーな感じが出てきませんか。
00 ごあいさつ
マスターです。初めまして。掲示板への書き込みが縁で、こんなコーナーを受け持つことになりました。
マスターは、どんな音楽も聞きますが、なんと言ってもブルースが好き。30年以上も飽きることがありません。
そんな個人的な想いを、気の向くままに書いてみようと思います。
ブルース・・・言葉は知ってるけれど、音楽は知らない人が少なくないようです。それはもったいない。
マスターは、ブルースハープを吹いたりしますが、プロでも専門家でもありません。
だから、勝手な思いこみや勘違いもあるかもしれませんが、まぁ気楽に読み流してください。