今年は殊のほかの暑さでエア・コンのフル稼働で息をついている。まことに機器の進歩のお陰だと思う。つい半世紀くらい前までは暑さを避けるため色々と工夫があった。打ち水、行水、うちわ、風鈴、浴衣、白絣、夏座蒲団、食べ物といえばかき氷、氷ぜんざい、ラムネ、くずきり、西瓜など私の記憶にも鮮明である。庭に打ち水をして風呂で一汗流し縁台で木々を渡ってくる涼風を懐に入れ風鈴の音に涼しさを味わったものである。この風情が懐かしく思い出されるがこれが庶民の中の日本文化であったと考えている。

そう言えば先夜の隅田川の花火大会には97万人の人出があったとか、我が家は厩橋の近く、人出が窓から見える。夕方6時頃になると人々がゾロゾロと集まり始める。浴衣にうちわを持った人が多い。厩橋近くで警官が声をからして「止まらないで進んでください」と叫んでいる。実際あの人混みに入ると自力で歩くことは出来ず、後ろから押されて進むだけである。打ち上げが始まるとそのほうに気をとられて人々の歩行はさらにのろくなる。混雑はいっそうひどくなる。こんな人出の雰囲気を見ていると、江戸時代、川開きの花火大会を題材にした落語「たがや」を思い出す。

『たがや』は三代目桂三木助、三代目三遊亭金馬がよく演じた噺である。〜

両国の川開きで大勢の人出、特に両国橋は大混雑、口々に「鍵屋!」「玉屋!」と花火をほめている。そこに家路を急ぐ桶のたがを担いだたがや、人混みの中で押されたはずみにたががはずれて、通りかかった武士の笠をはね飛ばしてしまう。武士は多くの人の面前で恥をかかされたのでカンカンに怒って、たがやが平あやまりにあやまっても許さず、手討ちにすると言う。覚悟したたがやは「サムライだと思っていばるな」と武士の刀をもぎとって、サッと払うと武士の首がボーンと宙に飛ぶ、見物はすかさず「たがやー!」
また三遊亭円生がよく語った落語「永代橋」は、深川八幡の祭礼の人出で永代橋が落ちたという出来事を下敷きにした粗忽者の噺だが、とにかくこのような落語にも描かれているように押し合いへし合いの人出なのだ。

もとより川を挟んでの広い地域全てに大変な人出、この雰囲気の中で約2万発の花火が夜空を飾ります。打ち上げの度にドヨメキがおこります。打ち上げ場所は2ケ所その一つが厩橋のそばにあり、打ち上げの時の音は家の中の私にも腹にぐっとこたえる程です。……我が家にゴールデンレトリーバーの老犬がいますが、彼女は音に敏感、しかも爆発音や破裂音とくに花火と雷には恐怖感いっぱいで、家の中に居ればトイレの中に入ったきり、中でただ震えています。そこで隅田の花火の日は息子が車で花火の音の聞こえない知人宅に待避です。……我が家は屋上からでも河畔のビルに遮られて花火は殆ど見えないので、もっぱらTVで観賞です。何秒かで空に消える光の花なので目を瞠って眺めます。素人目にも年々色彩や変化する形に新鮮なものが創出するようです。
かくして約2時間、光の芸術は我々に心よい興奮を与えてくれます。この興奮と夢、それが庶民に次なるエネルギーをもたらすのではないかと思います。今は橋がこんなことで落ちる心配はありますまいが……、とにかく江戸の庶民は祭りが好きで川開きともなるとじっとはしておれなかったのでしょう。この気質は今の江戸っ子にも受け継がれているように思います。「たがや」は当時の模様をうかがい知る格好の噺です。そして落語は日本独特の話芸、これも日本の文化の一つですし且つまたそう遠くない私の経験にもある夏の風物に思いを馳せ一文を書きました。